軽度の知的障害・発達障害の人に育てられた子供たちの苦しみ

知的障害や発達障害(アスペルガー)や、そのような特徴を持つ人のもとで育った子供が抱える苦しみについて考えてみたいと思います。ただ、そういった障害のある人が子供を育てることを批判しているのではなく、周囲からのサポートやつながりが何もないままだと苦しみがあるのではないかというお話です。

まず世の中で生きていくための知識を教われないということです。人から教わるんじゃなくてそういうのは自分で習得していくものだよと、教わらないのが当然だというような、いかにも簡単に自分だけの力で習得できたと勘違いしている人もいますが、多くの人は言語的にも非言語的にも、意識的にも無意識的にも教わっているものです。教われなかった人は仕方なく果てしないハンデの元に学んでいくしかありません。

例えば身だしなみの整え方(TPOにあった服や、清潔感のある髪の毛)。何か自分が浮いている、ということから何が違うのかを考えて、どうやったらそれが実現できるのかを考えて、といったプロセスが必要です。人とのコミュニケーションの取り方。とんちんかんな返答や、意図的にではないにしても人を傷つけたり思いつけないほど否定的な悲観的な返答ばかりを見ていると、そのようなコミュニケーションが染みついてしまいます。それ以外のコミュニケーションの方法はどんなものがあるのかすら分かりません。やはりこちらも周りの人を見てどのような返答をすればいいのか、を学んでいくことになりますが、外国語を大きくなってから習得するのと同じように、コミュニケーションをする時に普通の人以上に常に頭を回転させなければいけなくなります。母国語のように無意識に自然にリラックスして話せるという感じとは違うのです。コミュニケーションの方法を習得できる間に苦しみがありすぎて、人と話すことが怖くなったり、何を言えばいいのか頭が真っ白になったり、人と関わる機会が失われてしまったりします。誰でもコミュニケーションをうまくいかないことあるよ、失敗してうまくなるんだよ、という言葉もありますがある程度の土台があって失敗して学ぶのと、何も土台がないままもしくは負の土台しかないままいきなり学校社会などに放り出されて失敗していくのではわけが違います。

これらのことは正解があるわけではないですし、好みやスタイルはそれぞれなので他人に合わせる必要もないとは思いますが、あまりにも一般からかけ離れすぎてしまうとやはり社会の中で生きていくにはかなり苦労が伴います。

また近年カサンドラ症候群という、夫婦の一方がアスペルガー症候群で、もう一方が健常者の場合に、情緒的な交流が取れないことや、はためには問題が分かりづらく周囲からその苦しみが理解されないことで、健常者側がうつ病などになってしまうというものがあります。夫婦間と書かれているものが多いですが、親子間でも、無関心や共感ができないことによってカサンドラ症候群が生じるのではと思っています。無関心や共感ができないことによる弊害については別の機会に述べます。

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