力のある人が弱い人を機嫌でコントロールする

はっきりとした言葉ではなく、ため息や表情、声色といった非言語的なもので人をコントロールする人がいます。多くの人が嫌なことをされた時に非言語的なもので怒りを表明することで、理不尽なことから自分を守ったり、言葉では伝わらないものを伝えるという点では有用に思います。

でもそれが、力の強いものが力の弱い人を、自身の望むようにコントロールするために使われることには憤り、理不尽さを感じます。立場の弱い人にとっては、自分が生きていくためには従うしかないのです。立場の弱い人のせいや心の弱さではなく、正当なコミュニケーションをすることなく人を望む通りにしようという、力の強い人の甘えです。

本当は嫌だけど、意に反しているけど従っているのだ、と気づいている場合もあれば、コントロールが長くなったり子供の場合は無意識にその人の機嫌を崩さないような、望むような発言行動をして、それが自分の本当の気持ちであるかのようになってしまいます。合わせていることに気づかないまま、自分の意見というものが認識されずその人と同一化している時、何年も経ってから、なぜかわからないけど苦しい、生きづらいと感じることになります。

そして子供の頃からそういった人ばかりに囲まれているひとは、どのように人に自分の意見を伝えるのかということを学ぶ機会がなく、機嫌で人をコントロールすることしか知らないまま、そして自分の考え感覚が何かわからないまま、学校社会に放り出されます。

誰でも意見の伝え方は試行錯誤を繰り返して徐々に上手くなっていくものです。ですが上記のように圧倒的にスタートラインが違う場合、その試行錯誤をする機会すら失われたり計り知れない苦痛を伴うものになります。

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