過度にネガティブで批判的な親

相手に対して批判的なことしか言わない人がいます。それが親だった場合、批判的ネガティブな意見しか投げかけられないことに違和感を持つことなく、それが真実だと思ってしまっても無理はありません。そのネガティブな見方が自分の中に内在化した時、自分が何かを思ったり行動したりする時ネガティブな反論が自然と思い浮かべられたり、そうでなくても何か安心できない不安感に苛まれることになります。

両親ともに揃っており周囲から恵まれていると思われている透明人間のAさんはその苦しみを抱える一人です。
英語が得意で海外の学校との交流会のスピーチを依頼され原稿を準備した後、何気なく父に見せたら、こんな話をして意義はあるのか、と半笑いで言われました。まさかこんな答えが返ってくるとはという思いと、そうだいつもこういうことを言われているのだった、うっかり話してしまったのが間違いだったという思いが交錯していました。
でも十数年経った後に、友人の私がその原稿を見れば、日本の伝統文化に絡めて相手の学生たちを歓迎する気持ちが溢れていてとても素敵な文章だと思いました。世の中に溢れる中身のないパフォーマンスだけのスピーチとは違いました。

このような悲しいエピソードが、誰一人にも気づかれることなくたくさん繰り返されてきたのです。心に深い傷を残して当然です。

もちろんどんな親でも子供を傷つけることを言ってしまうことはあります。それでも子供が幸せに大人になれるのは、それを補ってあまりある受容的なポジティブな言葉をかけられる機会があってこそです。人生で数回しかポジティブなことを言ってもらえない状態でマイナスばかりで誰がのびのびと生きていけるでしょうか。

さらに悲しいことは、Aさんの言葉にできない苦しみや自己肯定感の低さ(周囲の人たちから見たら優秀な方なのに)に、そのような関わりがベースにあるということに、親御さんが全く気付いていないということです。それはさらにやりきれない思いを生み出します。

なお、批判的な意見が必要な時もあるでしょうがそれは、ただ理由もなく批判したいから(ほとんどの場合は本人がそれに気づいておらず、正当な批判をしていると思っている)ではなく、本当に批判するべき内容かどうかを検討してからなされるべきです。批判する人が自分の嫉妬心などから、相手を傷つけてはいけないと思います。
また、その場合であっても、相手の性格や状況に合わせて行う必要があると思います。例えば多面的なものの見方ができず過度に楽観的な人や自分で気づけない人には適宜指摘する、常に否定し続けるのではなくフォローを入れるポジティブな意見を言う時もあるといったように。すでに不安感が強く自己肯定感がとても低く、そして自己批判的な見方がすでにできている人にきつい言葉で言う必要はないのではないでしょうか。

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