被害者側の被害そのもの以上の苦しみ

何かで傷つけられた側の人(Aさんとする)は、被害そのものの苦しみに加えて、別の苦しみも抱えるように思います。

  1. 不公平感・理不尽さ
    Aさんは心身の不調や何もかも楽しめなくなる、怖くなるなど苦しみを抱えて生きることすら辞めたいと思うほどなのに、
    なぜ、Aさんを苦しめてきた人は、普通に幸せに生活できるのか。なぜ普通に働き、お金を稼ぎ楽しめるのか。一方、Aさんは働けなかったり、本当だったら楽しめることすら楽しめなくなるのに。
    普通に学校に行けていたら、仕事できていたら得られたであろうことが得られなかった。なのに、加害者側や傍観者はそれをこともなく得ている。
    例えば、いじめられた人は学校に行けなくなって勉強の機会が奪われるのに、なぜいじめっこは通い続けられるのでしょうか。
  2. 無理解からくる辛さ
    心身の不調で苦しむAさんの背景に、何かはわからなくても想像できないほど苦しいことがあるのかもしれない、と考えもしない人たちが向けるAさんの現状へのまなざしは驚くほど冷たいです。何かAさんに欠陥があるのでは、治すべき点があるのでは、弱いのでは、と。
    思慮のない人は、いろんな可能性を考えることなく、目に見えること、思いつきやすいことに原因を帰属するように思います。
  3. Aさんに責任を負わせる(二次被害)
    被害者側も悪かった、こうすべきだった、という意見に感じる理不尽さ。なぜ加害者の責任を追及しないのでしょう。
    Aさんに何かを変えることを求めるよりも、加害者側に改善・責任を求めるのが筋です。
    Aさんに責任がある、とされてしまうのは、そういってきた人が、ちゃんとしている自分にはそんな不幸なことは起きるはずがない、Aさんが悪いからそんな被害を受けたんだ、と思い込みたい、つまり、ちゃんと生きていたのにそんな被害・不幸があるという現実・怖さをみたくない、直視する強さがないからです。

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